2016年4月19日火曜日

がっこ山 カタクリ咲いた

 例年より小振りのカタクリ、スミレの花、桜は他より遅め老いぼれの眼で見ても前森公園は全体が薄くピンク色に見えるます、がっこ山は固い蕾のままです。
 山では水芭蕉なども咲いています、今年は春がいつもより早いようです。
家の周りではカエルも鳴いてます山の方からはウグイスの声も聞こえてきますがこの春一番の震災のニュース、大震災が起きれば10%の増税は行わないと云っていた麻生と否、増税は行はないハズはないというアベ、ドッチなんだい、こんな大震災など起き得るあろうハズがないと得意の大口を滑られせて云ってしまったのかアッソウ。
 もうすぐ帰って来ます京王閣での八重桜のように満面に笑みを浮かべての凱旋帰郷であり‥‥‥‥マスヨウニ。
また、がっこ山が賑わいます、いまどのような様子か見に行ってきますが今雨降りそうです、曇っていますそんなに暖かくはありませんが寒くもありません、ドッチなんだい。
 こんなこと今言うのは気が引けますが私などもそのように陥るのは目に見えてますが備えていよう、「せめて3日分は」用意しなさいと。
 水、食料、暖をとる物など訓練とか何々防災記念日とかでその度云われてきたのですが事に遭遇して、あれが足りない、これもない、緊急をヨウスる至急、至急、大至急と始まる毎度、重大な事に出くわして慌てて、窮して死に目にあって学習する憶える暮らしの流儀を変えるかな。震災に遭われたに 合掌
















2016年4月11日月曜日

がっこ山 雪もよう

 雪に耐えるさくらかな

ゴキブリタイソーです

 蕾もピンク色です

外は雪日中には消えましたが夕方また降ってきましたふってきました

雪、春の雪、ピンク色のサクラ蕾に薄っすらと乗っています、もうすぐ開く蕾も耐え時です、未来に向かって咲くひと時の辛抱です明日は天候が回復しそうです(予報では)。
オリンピックのエンブレムとやら日本文化がこれほどまで
騒がれているのにこれほどまでの低いデザイン力に驚きました下手ですね選考されたかたの知識のなさセンスのなさにはこれから先も思いやられるけど、今までの日本の文化が否定されるような酷い水準ですね。今騒がれているジャパンなんとかは全て今造られたものではなく、昔から育まれた文化は殆ど異国情緒に憬れて騒いでいるだけですからカンチガイの馬鹿ばっかり今までだって本当の日本文化なんて人真似なのに、あぁどうなってんの世の中、だらだらと書いてスイマセン。チョットハラが立ったもので。
ゴキブリタイソー良いですね、血が回って長生きできそうです。意外と酒を飲んでは生きナガラえる事を考えているんですね。と言うわたしも厭世的なことを言っているわりには生き延びる事をやっています、散歩もそうですけれど
ゴキブリではなくうつ伏せになって全身を伸ばす呼吸もしっかり吐いて、吸ってリズミカルにゆっくりです、それから手足を折りたたみ、背骨を伸ばし腰を伸ばし手で足のつま先を握り体をの側面を左右に伸ばす手を軽く握って膝ウラに入れ脹脛を刺激、上半身を起こし両腕を真上に思いっきり伸ばし複式呼吸をゆっくりしながら、朝布団の上で5~6分それからオモムロに起き相撲の又割りのように両腿
に負荷を掛けながら布団を押入れにしまう。こんなもんで健康で長生きしようとは世間に申し訳ないのですが無意識の習慣になっていますが、あまり体調は良好とはいえません、まだ生き延びる工夫が足りないのでしょうか、ああでもなく、こうでもなく、だらだらとしているのが一番からだに良いのかも。寒いのでもう寝ます。


2016年4月10日日曜日

がっこ山 やめて市民の森   


 今日はスッキリとしない一日でした。市民の森のマンサクが気になり行って見ました例年だとまだ雪があり下に車を置いて上って行くのでしたが今年は雪が少なく車でマンサクの咲いている木まで楽に行けましたが殆どが咲き終わっていました楽をするという事はこんなもんかな、暖かいおかげで早めにツツジを見ることができました、蝦夷紫ツツジです、まだ雪囲いを解いてないのもあり窮屈そうでしたが解かれた、ツツジはゆっくりと手足を伸ばし咲き始めています、辛夷も咲き出しています。一本の山桜が咲いて自分だけ咲いて申し訳ないって感じです。
 あたりではキツツキが木をタタキまたせわしなく早春の小鳥が鳴いています、ウグイスはまだ聞く事ができませんでした。里の田圃ではヒバリが鳴き始めました、陽が昇るとピーチク鳴きだし縄張りを主張しだします、夜に散歩に行くと妖しい者が来たとケリがギヤアギヤア騒がしく飛び回って春の夜は騒々しく更けていきます。
 今朝、ガスコンロに火を点けようとしましたが何処を押しても点火できません何故点かないのか分かりません、イヨイヨこれはボケたのかそれともコンロの元栓が閉じられているのかなとも思いましたがチョット冷静になればと考えましたがコンロの火を点けるのに冷静になれば、などこの長~い一瞬は何なんだ家族に話したらボケ以外ないだろうと笑われ自分も納得しましたが、思った行動とやろうとする行為が頭のなかで分離を始めて来ました、一体化しません本当に困った若い頃にも似たようなことはあったのだろうけど気にしなかったが、今は気になります。
 食べものに興味が持てません、匂いの感覚も危なくなっています。甘い、辛い、塩っぱい、熱い、冷たい、はまだ感じますけどここらへんから感覚がずれ始めたら危ないのかな、神経を研ぎ澄ましながら日常気をつけて生活していこうかな、悲しい淋しい老化です。


 コブシ咲く、あの北国の春

 終わりかけのマンサク

山桜、 他には見当たりませんでした
 さくらさく

 小さいショウジョウバカマ咲き始め

 ようやく出たツクシ

 蝦夷紫躑躅(エゾムラサキツツジ)

焼石連邦4月6日

2016年4月8日金曜日

がっこ山 でも何故か国会中継聴く

出前配達途中で倒れるとありましたが無茶なと思いましたが古希のオカモチならこうなるだろうと、己を省みて考えさせられました、いままではないだろうと想像もしていない危険な結果が身体的にも言動としても起きえるのではと気が付き困った老人の年代に組み込まれつつあります。
 その白い紙が気になるのですがまだトボケテいる石原もクソだな議長もクソだし、追い込もうと捕らえることもできないミンシンも情けない、アマゾンに手を回して今日の追及を交そうとするジミンもクソ、日本シンでしまえ、なんてね。
当方のさくらはこんなもんです、それでも今朝は暖かい朝で膨らみもこの暖かさで進行すればヒョットすれば開花は予想より随分と早いのではと、といって幸せの青い鳥が飛んでくるわけでもないし、例年は雲雀が啼いているのですがまだ聞こえてきません、国会中継も中断中イシハラクソダナオヤジはもっと毅然としていたのだが、何を言っているのかあまり聞き取れはなかったのだが。
 油揚げ蕎麦食べました、水曜日のせいか一組の客でした昼時からづれていたせいもあり、栗駒から宮城、岩手に抜けられない行き詰まりのせいか、この地は閉じ込められた悲しい地方です。わたしも間もなくチホウになるのでしょうがパソコンのショートカットも忘れそうこれでは車の前進と後退も危ない、よほど気を付けて運転しなければ最近まで横に乗せていた娘にもクレグレもとクドク注意されるようになりそれに、素直に肯くようになり、己の衰えを自覚する「まーるい老人」になれました。
 国立の隠居はツミの観察をし出したらしい覗かれるツミも関心をもたれそれなりにお互いに生きがいを感じているのでしょうか、アベさんも休憩をとって退席したそうです、ナカナカ委員会は開催できないようです、唐突に中継は終わりました、さくら咲くこの春の椿事はどうなんでしょうか?もう国会の先生がたも私達より年少組なんですね
どのように国政に関心もてばいいのかな。

 カラスは無関係です

 大きい油揚げがのっています

近所のさくらです

2016年4月5日火曜日

がっこ山 のさくら、ついに咲く

やっと、さくら咲きました。折れ打ち捨てられていた小枝がやっと花を咲かせてくれました。今朝も鳥海山が白く一日輝いて、風もなく穏かな春の一日でした。
今日からタイツを脱ぎ捨て老体に少し刺激を与えるつもりです、体にも春の目覚めを甦らせ青春の記憶をさくらともに呼び戻す?‥‥‥‥すぐに散ってしまうのでしょうが(先ほど闇の中を小一時間程タイツなしでお散歩をして参りましたが寒さは感じませんでした)。当方のさくらの開花予報は四月二十日過ぎとのことまた、ご隠居と会えるのを心待ちにしております。











2016年4月4日月曜日

がっこ山 まだ冬眠中

きのうから雨模様の天候が続いています、朝道路標示は十度近くになっていますが、今だ私は目覚める季節になっていません心が閉じたママですがっこ山にはもう雪は残っていないのですが急激な変化が老人になり良寛の世界に入りつつあります「わらながらうれしくもある弥陀佛のいますみ国に行くと思へば」「形見とて何かのこさむ春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉」齢七十ウン歳で亡くなったのであれば私もその域に手が届きそうもう覚悟だけはと、そういう奴がイジ汚く生き、死に損じるらしい老人は歩行、食事、排泄、入浴など日常のこといづれ介助してもらっていきるほかないらしい。脳の老化と痴呆は別らしいがボケがくるのは拒みようがない、新聞でもテレビでもこれでもかと言うくらい予防にと健康食品と称して宣伝していますがもうウンざりです。
最後は神か仏にすがるのが一番でしょうか形のない八百万の神に御頼み申します。
このあいだ蕎麦を打ったからとご馳走になりに行きました
途中から国立の隠居にデンワを入れたらもう二合飲んで出来上がりそうだと言ってました、まだ午後の一時過ぎでしたが、ついでに蕎麦の出前の注文を受けていましたが三人前で完売と断られていました、主人曰く十六度を越えると蕎麦粉にムシが湧くそうです、桜の花芽も渓流釣りの羽虫もその頃飛び立つそうで自然界の蠢きもそこら辺の気温が基準なのかな。国立からの花便りはグレーゾーンに生息している我々儚い生物には一縷の望みでした、でも私ががっこ山から雪で折れた、老いた桜の木から頂いてきた小枝も芽が大分膨らんでピンク色を覗かせてきています、遅ればせながら間もなく桜の花が見られることと期待をしていますと言って私のヤマイが直るわけではないのだが。
隠居様よくカワセミを写してきましたね、ピントも合って
やはり使いこなしているから随分腕を上げましたね、私は老眼もススンデもう駄目ですし整理機能が麻痺して左右の方向も怪しくなってきました、散歩に出るときは迷子札をぶら下げられ、スーパー、コンビには立ち入り禁止、車の操縦は勿論となりつつ‥‥‥‥いかに死ぬために残り僅かのジカンをいきるか。和かに生きられるか幸せに尊厳をもって過ごせる哲学をおしえてナベちゃん(どこへ消えてしまたのかあれほど大量の哲学書をもって、ナベちゃんのツケのおかげで本屋さんも居なくなってしまった)
最近では普通に死んだらとか、ボケとかが話せる社会になったのは幸せなのか、介護を受けながら死についてのケアとか心安らかに死を受け入れることが大切なのか。自分がわからなくなっても生き長らえることが人間として幸せなんでしょうかね。老いて生きてるは子や孫にとっては負担であることは確かで、程よい時期があるのでしょうね。





 隠居の撮ったカワセミ



 がっこ山の拾った桜の枝


 最後の蕎麦です、ごちそうさま

 当分このまま、ねていたい

 沈む朝の月

 沈む夕日


新装になったJR湯沢駅
今だ盛況の限りです。