2011年4月12日火曜日

震災前の広田湾泊漁港


















 
小さな漁港でした朝の賑わいはいつまでも続くとみんな思っていたのでしょうが、この小さな漁港は跡形もありません。地震はいつものことある程度の津波も予想していたのでしょうが今回ばかりは予想を遥かに超えていたようです、命からがら、身一つで逃れるよりなかったそうです、もう一ヶ月も過ぎましたが依然物事は進展せず、いまだに余震も治まらず余りの被害の大きさに天罰と諦め神のご加護を祈るしかないのでしょうか、今のお上を当てにして果たして復興は進むのでしょうか、どこまで生活レベルを下げ耐えることができるのでしょうか。終戦後は国民全部が同じ出発点でしたがこの震災はゼロになった人と何の被害もなかった人と極端です、私の身内も被害に遭いその家族のためにいろいろな面であたたかい援助をしていただき、心配してくれる方々がおられとても感謝しています。
元の生活まではとても無理でしょうが少しでも近づいてもらえたらと思っています。








体育館も形骸だけが残り、瓦礫の中にはまだ行方不明の方も残っているのでしょう、河口から5キロも津波は溯ってきたようです。ふだんはきれいな流れの気仙川もごみのなかでした。