2014年5月30日金曜日

がっこ山 怪人芭蕉になる

つつじ観賞会の席で・・・・・・・・・・どういうきっかけか「百代の過客にして、行かふ年も又旅人也と」白代の母を持つ怪人が旅人のようにバンクへの思いを馳せ、老いを迎えたいまでも、怪人はまだまだ「多く旅にでて死せる覚悟あり」とまで言ったかどうか。副理事長の友人にそれでも君は母を一人にして旅に出るのかと問われていましたが「やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、」今度は桜咲く前、いやその前秋の候に栗や芋の子のあたりとにはまた帰って来ようかなとか。「そゞろ神の物につきて心をくるはせ、立川のまねきにあひて、取もの手につかずスマホ片手に国立を出る」まだまだ優雅な旅人をたのしみたいのだ。・・・・・・・・・あれ、あの時は杜甫の春望だっけか老人性健忘症で記憶がアイマイだ。なぜか副理事長は孝行をトクトク話して説得してしており、怪人はなぜかケムに捲くが如く川崎記念とかいっていました、が副理事長は老いた母を案じてエンドーさんの電話に移るまで態度が変わりませんでした、「ヒサシブリダコド」いや~ワケナといったあとには怪人に白代の母の今後についてはありませんでした。老いたのはわたしたちで白頭掻いて更に短し。「大自然の山や河は依然として変わらず、町は春を迎えて、草木が生い茂っている」生い茂って、生い茂って今、山中をホトトギスが托卵先を探して飛び回ってウグイスが警戒声で発して慌てている、その側で木の枝に身を隠すように様子を伺っているホトトギス。母親になるウグイスが哀れか母を知らずに育ったホトトギスが不憫か「不如帰」。モリアオガエルもかわいそう産卵する樹木が倒れ羊歯の葉に産み付けてはみたものの水に沈みかけて果たして産まれるのやら期待しております。つつじは今、きれいに咲いていました、がっこ山も自然のつつじの花が咲き出しましたが山は緑が濃くなり蛾や蝶の幼虫が青葉を求めて蠢いてそれを鳥がついばみ幼鳥に与え自然の環境が回り始めてきました。自然界も母が命を育むためにガガガガァンンンバ~リマァ~ス。      
写真と文章は一致しませんので悪しからず。