2019年12月2日月曜日

がっこ山  12月師走

 ご隠居様他に写真がないこれでガマンして撮影日が2011年9月11日となっています。
あれから8年経ったのです、最初の写真は昔の東小学校のグランドの跡です。今は身の丈にあった市役所がポツンと建ってます。いつまで湯沢市としてあるのでしょうか写真の方々も殆どが市民ではないのです、「マッチ擦る つかの間の海に霧深し 身捨つるもどの祖国はありや」しがみ付くほどの国ではなかったのです、皆大きな楽しみと明るい夢を抱いて夜汽車に揺られ二等の急行でバックを片手にバイバイと飛び立って行ったのでした。
また雪が積もりそうな天気です。歌は寺山修二






















2019年11月1日金曜日

がっこ山 十一月になって

 この写真はフェーク2009年の10月23日頃の写真です。写真整理していたら初冠雪の写真が出てきた、舟の写真は陸前高田の泊港です津波で失なる前の魚港です。
ここに写っている舟はどうなったのでしょうか、姉の家の庭にもの何艘か流れてきていました。
 昭和二十年元旦の清沢 洌の「暗黒日記」日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することが出来ない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総じての問題はここから出発しなくてはならぬ。中略 「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。
 この年の八月に日本は敗戦を迎えたのですが、日記を読むとすでにこのような立場の人達は敗戦を意識していたようです。
 国民のその後の考え方転換のために捧げ、後世をのために目がけて努力しよう。
日記はまだまだ続いはいます。
 ただ、このページはブログを埋めるために書いてます。「合意なき決定」と言う知事さんのお気持ちも理解できそうですが、対手のことも闇雲に札幌と決められたわけでもないでしょう。
 






2019年9月30日月曜日

がっこ山 九月最後

 クリの木が大分減って、以前落ちていたツヤツヤの実が拾えなくなった。ナントカ虫のせいばかりではなく木の寿命ではないかと思う。クリの木ばかりではなく、クロモジの木も殆ど皮が剥けて枯れてしまっている。初め目にしたのはエゾニレの大木、間もなくして道を挟んで上にあったハリの大木と、その年の内に大きな木が二本続けざまに倒れてしまった。ナラの木は倒れないで立ち枯れの状態で今も残っている、強風が吹いた後に行くと腕より太い枝が地面に刺さっていたり危険だ。
 でもホウの木や、クルミの木はいつでも元気そうだ、クリも別のところの若い木は実がなっているのが見える。
 がっこ山も、間もなく色付くでしょう、
モズが今騒がしい、朝早く行くとアオバズクが鳴いてそれからカラスが起きて集団でどこかに出かける。






 大曲の花火に行く臨時電車、普段は二両だがこの日は五両編成懐かしい、昔は八両編成の列車だった気がした。
 枯れたコナラの木に木の芽が見える。



 アゲハの幼虫、この間飛び立ったがナミアゲハだった。



















 食品館が閉まって、こんどは向かいのタジリが12月の
初めに閉まるというこの先の湯沢市は何処へ向かう
















 ノスリかな、朝いつもこの電柱に停まっている。



 ヒマラヤスギ?の実


一年中咲いてるシクラメン。