2020年12月2日水曜日

がっこ山 12月

  もうちょっと雪の降るのがこのまま遅れて欲しい、でかさねば仕事がまだ終ってないしまだまだかかりそう。最近年齢のせいか予定のように進まない、すぐ疲れてしまう残念ですがヨルトシナミニハ・・・・・・・・そんな話を三つしたの彼に話したら、私と同じようらしく笑いながら頷いていました。もうここら辺でやめて仕事の続きをしようかな。












2020年11月3日火曜日

がっこ山 11月はじめ



























鳥海山もアタマを白くして冬の装い、がっこ山も山道にはホウの葉が散り落ち、歩くたびにガサガサとなり静かな山に響きます。
春の山とちがい鳴く鳥も、どこか淋しく聞こえるヤマガラやモズもように騒がしいのもいますが、子育てに忙しく飛び回る春の野鳥がいないせいか山には賑やかな朝はない、朝早い暗いうちには単調なトラツグミの鳴き声が誰か人の口笛のように聞こえ淋しさが一段と増す。晴れた朝には東北の空に大きな北斗七星が出ていますが全体の姿はめったに見られない。もうすぐ雪が降り積もるとこんどはフクロウの声がして、野ウサギの足跡とそれを追ってキツネの足跡がたのしみだ。






 

2020年9月23日水曜日

がっこ山 もうすぐ10月

 がっこ山も暗いうちに上ると、何も見えず蚊だけがつきまとう、手で追い払いながら上るのですが蚊に気をやりながら足元にも、注意を置かないと最近は躓きそうになる。

今年の三月頃から奥さんも付いて来るようになり、始めは足手まといかなと思ったが近頃では自分も以前より足の動きが鈍くなり、この調子では意味が違うだろうけど「似たもの夫婦」ってこの様なことでも言葉として使うのかなと思ってしまう。

がっこ山を最近まじめに管理する方がいて、どういうものかやたら案内の看板のようなものを建てはじめた、あのような木の札を建てる意味がわからない、親切心なのか私たちは管理しているのだと主張しているのか分からないが、二つの団体が看板を立てるところをみると、どちらも美観を損ねていることは確かだ。

掃除をしてくれてる方がいます、春先から見張台から意味のない駐車場まで竹箒を使い杉の木から落ちた葉を掃いています。ただ脇に寄せているだけですが、その寄せた場所が問題です、春に今咲いているチゴユリを覆い隠すように掃いてきます、シダ類が葉を出し始めている上に被せてしまいます。この方は何をしているのか分かりません。

上り道に沿って草を刈ってくれてますが,悲しいことに上り道の両脇に咲いてる草花など構わず刈っている、草には花もそうですが虫なども沢山住んでいるのですが、家の庭のようにきれいにしたいのだろうな。

 



2019年12月2日月曜日

がっこ山  12月師走

 ご隠居様他に写真がないこれでガマンして撮影日が2011年9月11日となっています。
あれから8年経ったのです、最初の写真は昔の東小学校のグランドの跡です。今は身の丈にあった市役所がポツンと建ってます。いつまで湯沢市としてあるのでしょうか写真の方々も殆どが市民ではないのです、「マッチ擦る つかの間の海に霧深し 身捨つるもどの祖国はありや」しがみ付くほどの国ではなかったのです、皆大きな楽しみと明るい夢を抱いて夜汽車に揺られ二等の急行でバックを片手にバイバイと飛び立って行ったのでした。
また雪が積もりそうな天気です。歌は寺山修二






















2019年11月1日金曜日

がっこ山 十一月になって

 この写真はフェーク2009年の10月23日頃の写真です。写真整理していたら初冠雪の写真が出てきた、舟の写真は陸前高田の泊港です津波で失なる前の魚港です。
ここに写っている舟はどうなったのでしょうか、姉の家の庭にもの何艘か流れてきていました。
 昭和二十年元旦の清沢 洌の「暗黒日記」日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することが出来ない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総じての問題はここから出発しなくてはならぬ。中略 「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。
 この年の八月に日本は敗戦を迎えたのですが、日記を読むとすでにこのような立場の人達は敗戦を意識していたようです。
 国民のその後の考え方転換のために捧げ、後世をのために目がけて努力しよう。
日記はまだまだ続いはいます。
 ただ、このページはブログを埋めるために書いてます。「合意なき決定」と言う知事さんのお気持ちも理解できそうですが、対手のことも闇雲に札幌と決められたわけでもないでしょう。