2017年1月31日火曜日

がっこ山 睦月最終日

昨年切って花瓶に挿したおいた菊が今頃咲き出しました。水だけで生きられるものだと同じ生物として感心しましたいろいろ不満はあったのでしょうが咲いて見せるという使命感があったのでしょうか貧しいなにもない北の国に一輪の花でもと暖かさをもたらしてくれているのでしょうかチョットの目まいや痺れなどで二割負担に軽減されたなどと喜んでる場合ではいけないのかと反省してみたりして。暖かいなどと口に出してしまったりすると天からしっぺ返しがきそうで、心の中に気づかぬふりをして四月ころまで仕舞い込んでおくのも狡猾な老人の賢い対応かな。今頃になってウィンドウズに手間取っていますフォントはどこソフトはどことオドオドしながら学んでいますあまりにも親切で教えていただけるので誰に感謝していいものやら、反抗期の子なら「ほっといてくれ」とグレてしまいそうです。

羽後富士ですあさぼらけの薄暗いときに老人の凍えて震える指を使い、霞む目めを凝らして写しました。六時前です老人にとってはそんなに早くはないのですが他の老人に聞くとラジオの深夜便から起きているらしいタダ寝床を抜け出せないのか出ないのか賢い老人に成長しているようだ、小便もコラエテ、コラエテ飛び起きるそうだ。老人ですから飛び起きるといってもとてもスローモーションでしょうが上手を取った若乃花の投げのように。
これは出羽富士です日曜日娘に乗せられて山形に行った帰りに緊張の助手席から取った一枚です夕方でしたからオボツカナイ老人の目から防雪柵の一瞬の隙間からの一枚ですこの柵は延々と続いてこれを某国の国境に張り巡らせれば安い経費で工事も上がるのではそれでも某国は支払いは拒否すると思いますが、道路には完璧に除雪され乾いていました真冬の道路とは想像できませんでした。それでも緊張はしましたが。


残った姫りんごにいつもこの季節ヒヨドリがピーヨ、ピーヨ泣き声も高くやってきます、またしても老人ですのでピントがあっているのか不明です老人がもたついてので奴らもコバカにしてこっちミイミイ、老人よ来れる者ならなんて目で雄たけびを挙げ啄ばんでいます。

2017年1月11日水曜日

がっこ山 きょからであきらめました

朝除雪車の音でアァ雪がついにきたかと、もう一月も十日も過ぎ雪が降らなかった今までに感謝しあきらめるしかないとストーブを点けたら室温は五度そんなでもないかと燃え上がるのを待っていたがやはり寒い、外に出て除雪車の残していった雪の塊りを非力なわたしがスノーダンプを使い全身で押すのだが塊が重い、これが冬のスポーツと思えば力も入いるし実際心地よい運動です。
 九日の日郵便局に年賀状を出しに行く。暮れから手がけてはいましたが正月に入ってもグズグズと自分に言い訳をしながら進まずプリンターのせいにしたりインクがどうとか言いながら、ようやく出来上がりました。いつものひとりの友人からも今年はまだ着いてないことに宛名を書きながら気がつき、お互い歳だからと、四十数年よく毎年書いていたもんだ彼は六十過ぎて会社を譲り都会から信州の山奥に移住を決断しましたが冬の寒さとまわりの人との付き合いに慣れずウツになってしまったと何年か前の年賀状に書いてあったのを思い出しまたまた症状がでたのかなと心配をしておりましたが、十日郵便受けに、今年から医療費が二割に軽減になった知らせの郵便はがきと一緒に彼からの年賀状が入っていたとコタツに上がっていました。今回の年賀状もいつもの彼らしいデザインのハガキでした、いつものように表の面に小さな文字で近況を書いてあり最近は入退院の繰り返しであまり体調もよくないと書かれていました、私より一つ下ですが同じ高齢者になって、余り無理をしたら危ない年代であることには変わらないでしょう都会を離れて気楽な余生をと思って自然に囲まれた信州にと思って来たところでしょうが、心や体に与えるいろいろな変化になかなか順応するのには上手くいかず歪となってしまったのでしょうか。そろそろ七十代適当にがんばれ無理するなと言ってあげたい。お前もな!飛べもできないのに羽ばたくな埃りが舞うだけ、お前も少しはがんばれ。 「はぁ~い」

                                                 
 雪と風で公園の木々がよく見えませんカラーのはずですが高齢者と同じモノトーンの世界です。ヒカリがほしい。希望のヒカリが准高齢者に。       



雪がとか、寒いとか言ってないで、進んでヒカリを灯しましょう‥‥‥‥そうか、そうか、神は老いたるヒツジは救いませんあとは安いジンギスカンか不味いスープぐらい、悟りなさい、分をワキマエなさい‥‥か。あなたがたは主を求めよ。そして生きよ。さもないとキリストは‥‥‥なにを言いたいのか。寄付の少ない都合の悪い老人はジャマらしい神は強欲なのです。宗教法人なのです。強欲なのです。外はまだ吹雪いています、雪も降っています、老人は疲れて眠りにつきます、昼なのに。   待ち人来ず、昨日から待っているのだが、の~んびりと。



2017年1月8日日曜日

     謹賀

失礼な話しトリは三歩進むと物事を忘れるなどまるで今の私を揶揄するが如く言われていますがケッコウ記憶力があり一度虐めたことをいつまでも覚えていてアタマに飛び掛られたことがあります、子供のころには町内に放し飼いのトリがいました、長閑な時代でした。トリの御利益には火災除け、眼病平癒などがあり人とトリとの付き合いはとても長いようです、ニワトリが泣き叫び、天岩戸が開き日本の夜明けが始まったと西馬音内の盆踊りでも唄っていました。庚申様もサルとトリを祀っていたようですトリ目を治癒してもらうためとか、鳳凰の雌雄と雛は家内安全を願い、何でもトリ込む縁起から商売繁盛祈願などとりどりです。「鶏肋」とはトリのあばら骨はわずかなところから、食べるところはないが捨てるにはしのびない、役には立たないが捨てるには惜しいと「ケイロク」とてもオイシイ部位らしいです、そんな老人になれたらと准高齢者が言っています。
少しでも世のため超高齢者まで生きていいものやら、トリこし苦労でしょうか、アタマフリフリ羽ばたき飛ぶことは無理ですがファイトファイト掛け声だけでもと酉年の新年に念じております。 

fight2017 闘鶏の起源は古くモヘンジョ・ダロの遺跡から発掘されているそうです、世界中で闘鶏は行なわれていてトリは神事には欠かせないだったようです。その後、近代スポーツのボクシングのルールでは闘鶏を基にして作られたようです。トリはチキンハートではなかったようです。

 幸せと平和のシンボルハトが飛来してまいりました、これは幸福とみるべきか、あなた次第と申うされました。ジーット我慢の正月です。


繫がったツルですが‥‥‥これをジャマだから捨てて良いものかいつも悩みますあの千羽ツルの如くズルズルと引きずって行く甲子園の球児の姿を見ているとウレシイのか迷惑なのか複雑な気持ちになり、私も折られたツルを見てとても複雑です。