2017年5月3日水曜日

がっこ山 2013510

 あれから四年過ぎたが田舎は相変わらずと見下ろしていますが、かすかに変化しています、県の人が百萬人を切ったのです、湯沢市は五萬を切ったでしょう市長も替わりました。なにか変化が生れるのでしょうか。B’Zがスカパラが北上に来るそうです、年代からすると少数派の若者には分かっても、まったく関心のない老いぼれにはナンダベそれ、そんなところでしょうが、多数の老人にイヤイヤ迎合しこの先、親のオシメを換えることを心配しながら車椅子のロゴを貼ってスーパーに買い物に付き合い、冬は汗をかきながらダンプを押し、流雪溝の時間を気にしながら朝食を食ったり、食わなかったりして勤めに向かう若者、この先ず~っと変化はないでしょう。そこのところは変わらず辛い永遠の継続です。刈り上げ頭の北朝鮮が突然変化をしても空から何が降ってこようがそれでもこの地にへバリツキ、田んぼの水を気にしながら、ビニールハウスの温度に気を使い人が三萬切っても二萬に減っても、田舎は歴史のある良いところですから生き続けてこれからも歴史をつくり限界なんとかと蔑まれても誰かが帰って来ることを微かに期待と諦めを半々、否7:3位かな最悪8:2で待つか 私は空で神になって待ってますが。






 がっこ山の桜はまだ咲いてますダレ見に来てくれません
私たちが植えたと思われる木でも60年になって還暦です


 ズミでしょうか


 山桜がヒソカに咲いています。

 枯れ葉が降り積もって歩きやすく、音も軽やかです。

 朝が早くイチリンソウも下を向きまだ目が覚めない様子、もっと群生していてきれいです。

 エンレイソウはがっこ山では春一番早く咲きます、どなたか薬草として植えたのか沢山見られます。



 サンショウウオが孵化しています。上の方にわずかに見えます。
 さすがナルシスト一輪だけ、健気な水仙



 雪椿と山吹の競演




 駅と消防署の競演、消防署が中央病院跡に移るそうです。

血圧、気になります 120って載っておるでござる。 

2017年5月2日火曜日

がっこ山 八十八夜になちゃった

 ようやく冬眠から目覚めたとおもったら、サクラが咲いてカエルはないてタゲリは夜中に騒ぎ朝はヒバリが囀り、隠居はこれだけはと選手権にいちゃうし(どうだったのかな)、相変わらずがっこ山に上っては健脚ぶりを見せつけ、体は弱った弱ったとウソブキ、ダウンのジャケットを着てはいるが風邪も引かず北国生まれだけあって基本は丈夫な寒冷地仕様、さすが訳あってタバコは止めたようです。やはり辛い吸いたいと言ってますがそこは堅牢な意志で乗り切っているようです偉いなぁ、酒のほうは相変わらずおいしく飲んでいるようですが量は少なくなってきたようです。
 お互い年齢も重ね、何種類かの薬物中毒者となりイシキはしっかりしているつもりですが、今サッキの行動にイササカの不安を感じ僅かながらに行いを省みて反省点はなったか、あの行いは正しかったのかと、いつも賢い孤独な老人のふりをして世間の哀れみにスガルように、あぁと天を仰ぐことの無いように老いを悟られないよう、それを万全に繕いながらも気丈に残りのトキを弱いふりと純粋なふりをしたりして、狡猾な老人を演じて生きながらえたら、いつも会っては己のボケ自慢で笑いあい、サゲスミあい八十ン歳の死亡欄を見て現実の怖さにオノノく最近ですが。
ドッコイ!老人は老い易くてもまだまだ学べるのじゃ と強がっては見るがちょっと最新の情報にツマズクとやはり脆い、あせった老人ほど哀れな生き物はない檻の隅っこにヘバリツキ、イジケこれでもかと落ち込む、ほかに気を紛らはせることが苦手、厄介な生き物です、それはウツ気味のウツが持続している私です。
 不思議ですがこんな北国の田舎に都市計画課なる部署があってどうでもいいような、山にアスハァルト舗装の道を作っていますがどんな生き物が利用いたすのでしょか。コズルイ狐でしょうか狸の皮を被った偽員様でしょうか、山に入ったことの無い人がどのような計画を図っているのか疑問です、自然以外何もない田舎になぜ舗装の道路作る必要があるのか不思議です。自然の山道に粉砕した木屑を敷いてどう勘違いをしているのかあれで自然を演出しているのかとおもうと滑稽なはなしです。敷いた方々あの不思議な道を歩いてご覧とっても変な感触とヌカルミを歩いている変な音、周辺の羊歯など随分削りとってしまわれました都市計画課とは少し以上にホンジネのか、偽員がどこかタリネノヵ。

















2017年4月1日土曜日

がっこ山 ホーホー ゴロスケ ホー ふくろう鳴く

早朝がっこ山に行ってみたら期待どうり、フクロウが鳴いていた、初めは上町の辺りかその後お寺の方行ったのか声が遠くなってやがて見張り台の辺りでホーホーホーと間をおかずやや激しく鳴きそして二の丸へと移動してやがて鳴き声が聞こえなくなった昔絵本で見て文字として想像していた声がそのまま聞こえてくるのは面白い、姿を見たのは何十年も前のことで同じ朝ですがもっと明るいときで、その時は声を聞くことがなかった、枝に留まっていたのが音もなく林の中に消えていったのが、がっこ山で見た最初で最後でした今年は何回か声を聞いては、いましたがその後小雨であったり小雪が降ったり会えなかった。今朝は少し冷えてはいたが爽やかな朝でこれはと期待していましいた。今朝も暗くてまだ無色、無音、早い春なので無臭。宇宙空間とはこんな感じなのかな、昨夜は下弦の月が見えたけど今日の早朝は生憎の曇り空、星も月もない暗闇のなか小さな懐中電灯を頼りに老人のおぼつか無い視力でヨボヨボとした足取りでやや急な坂に心拍数を上げ血圧を上げながら行くと大沢の稲荷の辺りからホーホーホーとフクロウに声を掛けてもらって元気が湧いてきました。
最近手からモノがよく滑り落ちます、上手の手からではなく老人の干からびた手からモノを落としたり新聞など上手く捲れないのは、娘に言わせると老人性乾燥なんとかと言うらしい、右と左両手にモノを持つと今どっちのものを優先して置くのかを一瞬考えてしまったり、徐々に行動に間が空くのは痴呆の始まりだったりなかなかモノの名前が出てこなくなったりそれも十分、二十分も経ってから、あ~あれだったとか最近とくに頻繁になってきました、特にブログなど忘れてしまいます隠居からまだ冬眠中なのかとメールをもらいますが,ヒョッとすると冬眠していたのかと思えるほど記憶もフットンでいます集中力も落ちて仕事でも単純なミスを繰り返しますまた最初からやり直します反省してをしてはいますが自分を責めませんどうせ年だからと慰めはします。
周りの雪が溶け田んぼの畦も見え始めました、まだヒバリの声はしません間もなく来る気配はします小さな羽虫が飛び始めました川の魚も鳥も元気に現われるでしょう、私のような老人も心浮き浮き花の咲くのを、緑の芽吹くのを心待ちにしていますョ!
七十過ぎて兎角、疲れます心労というのでしょうか体力的にでしょうか、これからの人生のために〇〇体操をしましょうとか、脳トレだとか文字で見たりお節介な方々に言われますがアリガトウゴザイマスそれなりに年齢を重ねれたらいいのです長生きなの、ボケないためとか、少しはホオッテおいてクダサイマセンカ、衰えていくのはしょうがないこれ以上張り切れませんです。どうせ今から世間のお世話になってゴメイワクヲお掛けしますので、ヨロシク。なんて意地悪じいさんに徹するつもりはないのですが最後の強がりをと。一番下はいつの間にか出来た駐車場選挙にあわせたのか冬の間に山のなかに出来ちゃった。除雪しながら遣ったみたい,価値あるイミノ無い駐車場だべか。
サクラ今、部屋の中で

2017年2月3日金曜日

がっこ山 太郎も次郎も寝てしまったか



ようやく明日の決起集会に使用する予定のリーフレットのデータ終わったつもり、まだ校正の段階これ以上は納期が間に合わない決起集会をズラスしかないのだろうが支援者の都合もあるだろうし、私は責任を被れないし「どぎゃんしたもんだべ」今朝はマイナス3℃そんなに雪も積もらないのだが除雪車が路上の掻き集めた雪の塊を運動しろよとばかりに置いていきやがる、老人には腕力も無ければ握力も衰え、まして脚力もオボツカナイ僅かな凹凸にヨロヨロと、除雪車の磨いていく道路にツルツル靴を滑らせ、これ程の運動は無いのだが何度も言うが老人には冬は危険すぎるまして屋根の雪下ろしは生命を懸ける作業です、大袈裟なと最近まで笑っていたが、ある歳に出あわせば同じ、追いついたかと出るのは深いため息、寒さで深い吸い込みは倒れそうになる。零℃になると道路の圧雪も緩みこれもまた厄介で歩くのも気をつけねば「ピッパネ」掛けられるし融けかけた雪が滑る老人また危ない
どこに行っても、なにもしなくても老人は危ない、節分の夜は何もしなくても豆をぶつけられ、恵方巻きなど買わされこれも迷惑な話、落花生でピーナツ味噌でも作って食いたい。静かな節分の夜です、校正の直しが来る前に風呂入って寝るべかな、仕舞い風呂だべな。




2017年1月31日火曜日

がっこ山 睦月最終日

昨年切って花瓶に挿したおいた菊が今頃咲き出しました。水だけで生きられるものだと同じ生物として感心しましたいろいろ不満はあったのでしょうが咲いて見せるという使命感があったのでしょうか貧しいなにもない北の国に一輪の花でもと暖かさをもたらしてくれているのでしょうかチョットの目まいや痺れなどで二割負担に軽減されたなどと喜んでる場合ではいけないのかと反省してみたりして。暖かいなどと口に出してしまったりすると天からしっぺ返しがきそうで、心の中に気づかぬふりをして四月ころまで仕舞い込んでおくのも狡猾な老人の賢い対応かな。今頃になってウィンドウズに手間取っていますフォントはどこソフトはどことオドオドしながら学んでいますあまりにも親切で教えていただけるので誰に感謝していいものやら、反抗期の子なら「ほっといてくれ」とグレてしまいそうです。

羽後富士ですあさぼらけの薄暗いときに老人の凍えて震える指を使い、霞む目めを凝らして写しました。六時前です老人にとってはそんなに早くはないのですが他の老人に聞くとラジオの深夜便から起きているらしいタダ寝床を抜け出せないのか出ないのか賢い老人に成長しているようだ、小便もコラエテ、コラエテ飛び起きるそうだ。老人ですから飛び起きるといってもとてもスローモーションでしょうが上手を取った若乃花の投げのように。
これは出羽富士です日曜日娘に乗せられて山形に行った帰りに緊張の助手席から取った一枚です夕方でしたからオボツカナイ老人の目から防雪柵の一瞬の隙間からの一枚ですこの柵は延々と続いてこれを某国の国境に張り巡らせれば安い経費で工事も上がるのではそれでも某国は支払いは拒否すると思いますが、道路には完璧に除雪され乾いていました真冬の道路とは想像できませんでした。それでも緊張はしましたが。


残った姫りんごにいつもこの季節ヒヨドリがピーヨ、ピーヨ泣き声も高くやってきます、またしても老人ですのでピントがあっているのか不明です老人がもたついてので奴らもコバカにしてこっちミイミイ、老人よ来れる者ならなんて目で雄たけびを挙げ啄ばんでいます。

2017年1月11日水曜日

がっこ山 きょからであきらめました

朝除雪車の音でアァ雪がついにきたかと、もう一月も十日も過ぎ雪が降らなかった今までに感謝しあきらめるしかないとストーブを点けたら室温は五度そんなでもないかと燃え上がるのを待っていたがやはり寒い、外に出て除雪車の残していった雪の塊りを非力なわたしがスノーダンプを使い全身で押すのだが塊が重い、これが冬のスポーツと思えば力も入いるし実際心地よい運動です。
 九日の日郵便局に年賀状を出しに行く。暮れから手がけてはいましたが正月に入ってもグズグズと自分に言い訳をしながら進まずプリンターのせいにしたりインクがどうとか言いながら、ようやく出来上がりました。いつものひとりの友人からも今年はまだ着いてないことに宛名を書きながら気がつき、お互い歳だからと、四十数年よく毎年書いていたもんだ彼は六十過ぎて会社を譲り都会から信州の山奥に移住を決断しましたが冬の寒さとまわりの人との付き合いに慣れずウツになってしまったと何年か前の年賀状に書いてあったのを思い出しまたまた症状がでたのかなと心配をしておりましたが、十日郵便受けに、今年から医療費が二割に軽減になった知らせの郵便はがきと一緒に彼からの年賀状が入っていたとコタツに上がっていました。今回の年賀状もいつもの彼らしいデザインのハガキでした、いつものように表の面に小さな文字で近況を書いてあり最近は入退院の繰り返しであまり体調もよくないと書かれていました、私より一つ下ですが同じ高齢者になって、余り無理をしたら危ない年代であることには変わらないでしょう都会を離れて気楽な余生をと思って自然に囲まれた信州にと思って来たところでしょうが、心や体に与えるいろいろな変化になかなか順応するのには上手くいかず歪となってしまったのでしょうか。そろそろ七十代適当にがんばれ無理するなと言ってあげたい。お前もな!飛べもできないのに羽ばたくな埃りが舞うだけ、お前も少しはがんばれ。 「はぁ~い」

                                                 
 雪と風で公園の木々がよく見えませんカラーのはずですが高齢者と同じモノトーンの世界です。ヒカリがほしい。希望のヒカリが准高齢者に。       



雪がとか、寒いとか言ってないで、進んでヒカリを灯しましょう‥‥‥‥そうか、そうか、神は老いたるヒツジは救いませんあとは安いジンギスカンか不味いスープぐらい、悟りなさい、分をワキマエなさい‥‥か。あなたがたは主を求めよ。そして生きよ。さもないとキリストは‥‥‥なにを言いたいのか。寄付の少ない都合の悪い老人はジャマらしい神は強欲なのです。宗教法人なのです。強欲なのです。外はまだ吹雪いています、雪も降っています、老人は疲れて眠りにつきます、昼なのに。   待ち人来ず、昨日から待っているのだが、の~んびりと。



2017年1月8日日曜日

     謹賀

失礼な話しトリは三歩進むと物事を忘れるなどまるで今の私を揶揄するが如く言われていますがケッコウ記憶力があり一度虐めたことをいつまでも覚えていてアタマに飛び掛られたことがあります、子供のころには町内に放し飼いのトリがいました、長閑な時代でした。トリの御利益には火災除け、眼病平癒などがあり人とトリとの付き合いはとても長いようです、ニワトリが泣き叫び、天岩戸が開き日本の夜明けが始まったと西馬音内の盆踊りでも唄っていました。庚申様もサルとトリを祀っていたようですトリ目を治癒してもらうためとか、鳳凰の雌雄と雛は家内安全を願い、何でもトリ込む縁起から商売繁盛祈願などとりどりです。「鶏肋」とはトリのあばら骨はわずかなところから、食べるところはないが捨てるにはしのびない、役には立たないが捨てるには惜しいと「ケイロク」とてもオイシイ部位らしいです、そんな老人になれたらと准高齢者が言っています。
少しでも世のため超高齢者まで生きていいものやら、トリこし苦労でしょうか、アタマフリフリ羽ばたき飛ぶことは無理ですがファイトファイト掛け声だけでもと酉年の新年に念じております。 

fight2017 闘鶏の起源は古くモヘンジョ・ダロの遺跡から発掘されているそうです、世界中で闘鶏は行なわれていてトリは神事には欠かせないだったようです。その後、近代スポーツのボクシングのルールでは闘鶏を基にして作られたようです。トリはチキンハートではなかったようです。

 幸せと平和のシンボルハトが飛来してまいりました、これは幸福とみるべきか、あなた次第と申うされました。ジーット我慢の正月です。


繫がったツルですが‥‥‥これをジャマだから捨てて良いものかいつも悩みますあの千羽ツルの如くズルズルと引きずって行く甲子園の球児の姿を見ているとウレシイのか迷惑なのか複雑な気持ちになり、私も折られたツルを見てとても複雑です。