2017年1月8日日曜日

     謹賀

失礼な話しトリは三歩進むと物事を忘れるなどまるで今の私を揶揄するが如く言われていますがケッコウ記憶力があり一度虐めたことをいつまでも覚えていてアタマに飛び掛られたことがあります、子供のころには町内に放し飼いのトリがいました、長閑な時代でした。トリの御利益には火災除け、眼病平癒などがあり人とトリとの付き合いはとても長いようです、ニワトリが泣き叫び、天岩戸が開き日本の夜明けが始まったと西馬音内の盆踊りでも唄っていました。庚申様もサルとトリを祀っていたようですトリ目を治癒してもらうためとか、鳳凰の雌雄と雛は家内安全を願い、何でもトリ込む縁起から商売繁盛祈願などとりどりです。「鶏肋」とはトリのあばら骨はわずかなところから、食べるところはないが捨てるにはしのびない、役には立たないが捨てるには惜しいと「ケイロク」とてもオイシイ部位らしいです、そんな老人になれたらと准高齢者が言っています。
少しでも世のため超高齢者まで生きていいものやら、トリこし苦労でしょうか、アタマフリフリ羽ばたき飛ぶことは無理ですがファイトファイト掛け声だけでもと酉年の新年に念じております。 

fight2017 闘鶏の起源は古くモヘンジョ・ダロの遺跡から発掘されているそうです、世界中で闘鶏は行なわれていてトリは神事には欠かせないだったようです。その後、近代スポーツのボクシングのルールでは闘鶏を基にして作られたようです。トリはチキンハートではなかったようです。

 幸せと平和のシンボルハトが飛来してまいりました、これは幸福とみるべきか、あなた次第と申うされました。ジーット我慢の正月です。


繫がったツルですが‥‥‥これをジャマだから捨てて良いものかいつも悩みますあの千羽ツルの如くズルズルと引きずって行く甲子園の球児の姿を見ているとウレシイのか迷惑なのか複雑な気持ちになり、私も折られたツルを見てとても複雑です。








2 件のコメント:

怪人 さんのコメント...

本当にニワトリは、、、、鯉のたたきならずニワトリの骨のたたきを食べたいが今はありません。ニワトリは飛べない?飛ばない?が一般的な常識です。放し飼いのニワトリは飛ぶ????彼の地で水平線を眺めながら焼き鳥とクスクスを食べ酒を飲んだことを思い出しています。元気いっぱいなニワトリをつぶし焼き鳥にするのですがニワトリを分かるのか必至で捕まりません。なんと飛ぶのでした。あぁ無情、、、終わり。

しらこかわ さんのコメント...

本年もわたしは体調が悪い。Eテレで「考えない」というウタがあって入口のドアを開け部屋に入るのに無意識に手を使い足を入れ身体を入れなんてウタッてるのを聞いて高齢になった自分が一々確認して行動するようになったらメンキョショは返納せねばと准高齢者は今後を自覚しはじめております。
トリの骨のたたきはよく市役所通りのトリッコヤで店のおばさんがタタキツブシてるのを学校帰り見ていた記憶があります、今でも目に浮かんできます懐かしいです、トリドシにフサワシイクールで美味しそうなはなしです。
ヤンバルクイナも夜は天敵から教われないように樹上で眠るらしいので飛ぶのも生活の必要に応じて進化していくのでしょうね、進化せねば。