いつの頃か気象予報士なるものがハビコリどこのテレビ局も頻繁に天気予報にさく時間が多くなる。風とか雲の流れ肌に感じる気温などで以前は自分で判断していた気がするのだが、毎朝何回か予報を見て昼前にも見て夕方、夜も何回か目に付きこれは毎日どんなことに役立っているのだろうか、雨降りに折畳み傘の準備するくらいならできるが、災害を起こすような天候には個人の対応では無理なんでね~か危険だ。だから注意して家に篭ってれと特に老人は、そのような注意報ナンダベか。
天気予報のついでに桜前線がここまで来たとか、今年は例年になく早く咲き、今はこの辺が満開とかテレビで見ているもんだから情報処理能力の弱い老人の脳には桜は咲いているもんと記憶が組み込まれてしまいここの桜も咲いているような気になってしまい、いざ咲いた時分には新鮮味がなくなってしまう、秘して花なりで秘かに咲いた花を楽しくを味わいたいものです。
老人になってくると、何かものごとをやるときこの作業もあと何年生きるとして一日三回づつやるとすればあと何回などと無意識に数えているがこれは引き算なのか、足し算なのか、確かに老人の算数には恍けて不確かな数字がつきものですが数式は同じでも入る数がいろいろでしょうから多い人少ない人、など考えると途方もない不安が襲ってくるのだ。
凍みたバッケ
権現山
LCC?見たことのないロゴ
カラスが
まだ朝は凍っているときもある
やっと白いガクが、泥で汚れているが
桜の芽が、たいして変わらない
神室、 秋ノ宮方面
一日の満月このあと、すぐ雲の中未だに現れない
光る鳥海山、あまり見ることがないのだ
田んぼの用水路も雪がサッパリと消える
2 件のコメント:
老人の記憶、??…若くても、確率の、、問題かなぁ❗とかく人の記憶は35パ―セント以下?犬も歩けば棒にあたる❗下手鉄砲、、、、猿も木から、、、も木に登る。、、、、思考なし。たまたまの偶然を!!
すこし残ってますか。
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